閣僚のなかでも重要ポストと言われる「外務大臣」。歴代外務大臣を通算在職日数や所属内閣などと一緒に一覧にしました。
また、歴代でも外務大臣を長く務めた人をランキング形式で10人紹介します。
※関連記事:歴代内閣官房長官の一覧と在職日数ランキング
※関連記事:歴代の財務大臣と大蔵大臣の一覧
※関連記事:歴代の文部科学大臣(文部大臣)の一覧
外務大臣とは?その役割と重要性

外務大臣の基本的な役割とは?
外務大臣は、日本の外交政策の中核を担う重要な役職です。主な役割には、外国との外交交渉や国際会議への出席が含まれます。
例えば、二国間または多国間の条約締結のための交渉を行い、日本の利益を守りながら国際的な合意形成を進めます。また、国際社会で日本の立場を説明し、信頼を築く「日本の顔」としての役割も果たします。
さらに、外務省を統括し、外交政策の策定と実行を主導します。国内では、外交に関する国会審議への出席や説明責任も重要な職務です。
このように、外務大臣は日本の国際的な存在感を支える要として活動しています。
歴史から見る外務大臣の重要性
外務大臣の重要性は、戦後日本が国際社会に復帰した時期に特に顕著でした。戦後、国際連合への加盟や平和条約の締結を通じて、日本の再出発を支えたのが外務大臣でした。
また、冷戦期にはアメリカとの同盟を基盤とした外交政策を推進し、経済成長期には貿易摩擦の解決や国際協力の強化に努めました。
この時期の外務大臣は、外交戦略の策定だけでなく、国際社会での日本の信頼回復に大きく貢献しました。
さらに、近年では、地球規模の課題(例えば気候変動や安全保障)に対応するためのリーダーシップも求められています。外務大臣の歴史を振り返ると、その役割は日本の国際的な位置づけに大きな影響を与えてきたことが分かります。
歴代外務大臣ランキング|注目された人物
歴代外務大臣の中で評価が高い人物TOP5
歴代外務大臣の中で特に評価が高い人物として、例えば吉田茂氏や幣原喜十郎氏が挙げられます。
吉田茂氏は戦後のサンフランシスコ講和条約を主導し、日本の独立を取り戻した功績で知られています。幣原喜重郎氏は、昭和期に軍部独走へと向かっていく日本政界において海外との協調外交を展開し、ロンドン海軍軍縮条約の締結などで歴史的にも高く評価されています。
また、治外法権を撤廃した陸奥宗光氏、関税自主権の回復に成功した小村寿太郎氏は「不世出の外交官」と評価されています。
他にも、太平洋戦争回避に奔走した重光葵氏も挙げられます。
これらの外務大臣は、いずれも国内外で高い評価を受け、日本外交の基盤を築きました。
- 陸奥宗光氏
- 小村寿太郎氏
- 吉田茂氏
- 幣原喜重郎氏
- 重光葵氏
最年少で就任した外務大臣:加藤高明
加藤高明は、第四次伊藤内閣で40歳という若さで外務大臣に就任しました。当時の日本外交において、新しい世代の意見を反映する重要な役割を果たしました。
その後、加藤は護憲運動で総理大臣になりました。在任中には、普通選挙法や治安維持法を成立させるなど、賛否はありますが日本の近代化と民主主義の進展に寄与しました。
なお、普通選挙法については以下の記事で詳しく解説しています。
普通選挙法とは何か?その成立の背景と意義を徹底解説【加藤高明内閣と治安維持法との関係】
治安維持法については以下の記事で詳しく解説しています。
治安維持法とは何か?目的や問題点、加藤高明内閣と普通選挙法との関係を徹底解説
若い世代の起用によって、新しい視点で日本外交が展開され、彼の功績は現在でも高く評価されています。
なお、加藤高明については以下の記事で詳しく解説しています。
加藤高明とは何をした人物?治安維持法と普通選挙法の制定で知られる総理大臣の功績を解説
最年長で就任した外務大臣:上川陽子
上川陽子は、第二次岸田内閣で70歳の時に外務大臣に就任し、最年長の記録を持っています。
上川氏は第一次安倍内閣で特命担当大臣を務め、その後、安倍内閣や菅内閣で法務大臣として活躍しました。長年の政治経験に基づく判断力と調整力を武器に、国際社会での日本の存在感を強化する役割を担っています。
高齢での就任ながら、円熟したリーダーシップで国際的な交渉に臨み、国内外からの期待に応え続けています。
彼女の就任は、経験豊富な政治家の価値を再認識させるものとなりました。
最年少と最年長の外務大臣が示すように、日本外交は時代や状況に応じて柔軟に人材を起用してきました。それぞれの背景や経験が日本の国際的な地位向上に貢献していることがわかります。
歴代の外務大臣の一覧
時代 | 氏名 | 内閣 | 在職期間 | 在職日数(日) | |
明治 | 井上 馨 | 第一次伊藤内閣 | 1885年12月22日 | 1888年4月30日 | 861 |
伊藤 博文 | 第一次伊藤内閣 | 1888年2月1日 | 1888年4月30日 | 90 | |
大隈 重信 | 第一次伊藤内閣 | 1888年2月1日 | 1888年4月30日 | 90 | |
大隈 重信 | 黒田内閣 | 1888年4月30日 | 1889年10月25日 | 544 | |
青木 周蔵 | 第一次山縣内閣 | 1889年12月24日 | 1891年5月6日 | 499 | |
青木 周蔵 | 第一次松方内閣 | 1891年5月6日 | 1892年8月8日 | 461 | |
榎本 武揚 | 第一次松方内閣 | 1891年5月29日 | 1892年8月8日 | 438 | |
陸奥 宗光 | 第二次伊藤内閣 | 1892年8月8日 | 1896年8月31日 | 1485 | |
西園寺 公望 | 第二次伊藤内閣 | 1896年5月30日 | 1896年8月31日 | 94 | |
西園寺 公望 | 第二次松方内閣 | 1896年9月18日 | 1898年1月12日 | 482 | |
大隈 重信 | 第二次松方内閣 | 1896年9月22日 | 1898年1月12日 | 478 | |
西 徳二郎 | 第二次松方内閣 | 1897年11月6日 | 1898年1月12日 | 68 | |
西 徳二郎 | 第三次伊藤内閣 | 1898年1月12日 | 1898年6月30日 | 170 | |
大隈 重信 | 第一次大隈内閣 | 1898年6月30日 | 1898年11月8日 | 132 | |
青木 周蔵 | 第二次山縣内閣 | 1898年11月8日 | 1900年10月19日 | 712 | |
加藤 高明 | 第四次伊藤内閣 | 1900年10月19日 | 1901年5月10日 | 204 | |
曾禰 荒助 | 第一次桂内閣 | 1901年6月2日 | 1906年1月7日 | 1681 | |
小村 寿太郎 | 第一次桂内閣 | 1901年9月21日 | 1906年1月7日 | 1570 | |
加藤 高明 | 第一次西園寺内閣 | 1906年1月7日 | 1908年7月14日 | 920 | |
西園寺 公望 | 第一次西園寺内閣 | 1906年3月3日 | 1908年7月14日 | 865 | |
林 董 | 第一次西園寺内閣 | 1906年5月19日 | 1908年7月14日 | 788 | |
寺内 正毅 | 第二次桂内閣 | 1908年7月14日 | 1911年8月30日 | 1143 | |
小村 寿太郎 | 第二次桂内閣 | 1908年8月27日 | 1911年8月30日 | 1099 | |
内田 康哉 | 第二次西園寺内閣 | 1911年8月30日 | 1912年12月21日 | 480 | |
大正 | 桂 太郎 | 第三次桂内閣 | 1912年12月21日 | 1913年2月20日 | 62 |
加藤 高明 | 第三次桂内閣 | 1913年1月29日 | 1913年2月20日 | 23 | |
牧野 伸顕 | 山本内閣 | 1913年2月20日 | 1914年4月16日 | 421 | |
加藤 高明 | 第二次大隈内閣 | 1914年4月16日 | 1915年10月9日 | 542 | |
大隈 重信 | 第二次大隈内閣 | 1915年8月10日 | 1916年10月9日 | 427 | |
石井 菊次郎 | 第二次大隈内閣 | 1915年10月13日 | 1916年10月9日 | 363 | |
寺内 正毅 | 寺内内閣 | 1916年10月9日 | 1918年9月29日 | 721 | |
本野 一郎 | 寺内内閣 | 1916年11月21日 | 1918年9月29日 | 678 | |
後藤 新平 | 寺内内閣 | 1918年4月23日 | 1918年9月29日 | 160 | |
内田 康哉 | 原内閣 | 1918年9月29日 | 1921年11月4日 | 1133 | |
内田 康哉 | 高橋内閣 | 1921年11月13日 | 1922年6月12日 | 212 | |
内田 康哉 | 加藤友三郎内閣 | 1922年6月12日 | 1923年9月2日 | 448 | |
山本 権兵衞 | 第二次山本内閣 | 1923年9月2日 | 1924年1月7日 | 128 | |
伊集院 彦吉 | 第二次山本内閣 | 1923年9月19日 | 1924年1月7日 | 111 | |
松井 慶四郎 | 清浦内閣 | 1924年1月7日 | 1924年6月11日 | 157 | |
幣原 喜重郎 | 加藤高明内閣 | 1924年6月11日 | 1926年1月30日 | 599 | |
昭和(戦前) | 幣原 喜重郎 | 第一次若槻内閣 | 1926年1月30日 | 1927年4月20日 | 446 |
田中 義一 | 田中義一内閣 | 1927年4月20日 | 1929年7月2日 | 805 | |
幣原 喜重郎 | 濱口内閣 | 1929年7月2日 | 1931年4月14日 | 652 | |
幣原 喜重郎 | 第二次若槻内閣 | 1931年4月14日 | 1931年12月13日 | 244 | |
犬養 毅 | 犬養内閣 | 1931年12月13日 | 1932年5月26日 | 166 | |
芳澤 謙吉 | 犬養内閣 | 1932年1月14日 | 1932年5月26日 | 134 | |
斎藤 実 | 斎藤内閣 | 1932年5月26日 | 1934年7月8日 | 774 | |
内田 康哉 | 斎藤内閣 | 1932年7月6日 | 1934年7月8日 | 733 | |
廣田 弘毅 | 斎藤内閣 | 1933年9月14日 | 1934年7月8日 | 298 | |
廣田 弘毅 | 岡田内閣 | 1934年7月8日 | 1936年3月9日 | 611 | |
廣田 弘毅 | 廣田内閣 | 1936年3月9日 | 1937年2月2日 | 331 | |
有田 八郎 | 廣田内閣 | 1936年4月2日 | 1937年2月2日 | 307 | |
林 銑十郎 | 林内閣 | 1937年2月2日 | 1937年6月4日 | 123 | |
佐藤 尚武 | 林内閣 | 1937年3月3日 | 1937年6月4日 | 94 | |
廣田 弘毅 | 第一次近衛内閣 | 1937年6月4日 | 1939年1月5日 | 581 | |
宇垣 一成 | 第一次近衛内閣 | 1938年5月26日 | 1939年1月5日 | 225 | |
近衞 文麿 | 第一次近衛内閣 | 1938年9月30日 | 1939年1月5日 | 98 | |
有田 八郎 | 第一次近衛内閣 | 1938年10月29日 | 1939年1月5日 | 69 | |
有田 八郎 | 平沼内閣 | 1939年1月5日 | 1939年8月30日 | 238 | |
阿部 信行 | 安部内閣 | 1939年8月30日 | 1940年1月16日 | 140 | |
野村吉三郎 | 安部内閣 | 1939年9月25日 | 1940年1月16日 | 114 | |
有田 八郎 | 米内内閣 | 1940年1月16日 | 1940年7月22日 | 189 | |
松岡 洋右 | 第二次近衛内閣 | 1940年7月22日 | 1941年7月18日 | 362 | |
豊田 貞次郎 | 第三次近衛内閣 | 1941年7月18日 | 1941年10月18日 | 93 | |
東郷 茂德 | 東條内閣 | 1941年10月18日 | 1944年7月22日 | 1009 | |
東條 英機 | 東條内閣 | 1942年9月1日 | 1944年7月22日 | 691 | |
谷 正之 | 東條内閣 | 1942年9月17日 | 1944年7月22日 | 675 | |
重光 葵 | 東條内閣 | 1943年4月20日 | 1944年7月22日 | 460 | |
重光 葵 | 小磯内閣 | 1944年7月22日 | 1945年4月7日 | 260 | |
鈴木 貫太郎 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月7日 | 1945年8月17日 | 133 | |
東郷 茂徳 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年4月9日 | 1945年8月17日 | 131 | |
昭和(戦後) | 重光 葵 | 東久邇宮内閣 | 1945年8月17日 | 1945年10月9日 | 54 |
吉田 茂 | 東久邇宮内閣 | 1945年9月15日 | 1945年10月9日 | 25 | |
吉田 茂 | 幣原内閣 | 1945年10月9日 | 1946年5月22日 | 226 | |
吉田 茂 | 第一次吉田内閣 | 1946年5月22日 | 1947年5月24日 | 368 | |
片山 哲 | 片山内閣 | 1947年5月24日 | 1948年3月10日 | 292 | |
芦田 均 | 片山内閣 | 1947年6月1日 | 1948年3月10日 | 284 | |
芦田 均 | 芦田内閣 | 1948年3月10日 | 1948年10月15日 | 220 | |
吉田 茂 | 第二次吉田内閣 | 1948年10月15日 | 1949年2月16日 | 125 | |
吉田 茂 | 第三次吉田内閣 | 1949年2月16日 | 1950年6月28日 | 498 | |
吉田 茂 | 第三次吉田内閣・第一次改造内閣 | 1950年6月28日 | 1951年7月4日 | 372 | |
吉田 茂 | 第三次吉田内閣・第二次改造内閣 | 1951年7月4日 | 1951年12月26日 | 176 | |
吉田 茂 | 第三次吉田内閣・第三次改造内閣 | 1951年12月26日 | 1952年10月30日 | 310 | |
岡崎 勝男 | 第三次吉田内閣・第三次改造内閣 | 1952年4月1日 | 1952年10月30日 | 213 | |
岡崎 勝男 | 第四次吉田内閣 | 1952年10月30日 | 1953年5月21日 | 204 | |
岡崎 勝男 | 第五次吉田内閣 | 1953年5月21日 | 1954年12月10日 | 569 | |
重光 葵 | 第一次鳩山一郎内閣 | 1954年12月10日 | 1955年3月19日 | 100 | |
重光 葵 | 第二次鳩山一郎内閣 | 1955年3月19日 | 1955年11月22日 | 249 | |
重光 葵 | 第三次鳩山一郎内閣 | 1955年11月22日 | 1956年12月23日 | 398 | |
岸 信介 | 石橋内閣 | 1956年12月23日 | 1957年2月25日 | 65 | |
岸 信介 | 第一次岸内閣 | 1957年2月25日 | 1957年7月10日 | 136 | |
藤山 愛一郎 | 第一次岸内閣・第一次改造内閣 | 1957年7月10日 | 1958年6月12日 | 338 | |
藤山 愛一郎 | 第二次岸内閣 | 1958年6月12日 | 1959年6月18日 | 372 | |
藤山 愛一郎 | 第二次岸内閣・第二次改造内閣 | 1959年6月18日 | 1960年7月19日 | 398 | |
小坂 善太郎 | 第一次池田内閣 | 1960年7月19日 | 1960年12月8日 | 143 | |
小坂 善太郎 | 第二次池田内閣 | 1960年12月8日 | 1961年7月18日 | 223 | |
小坂 善太郎 | 第二次池田内閣・第一次改造内閣 | 1961年7月18日 | 1962年7月18日 | 366 | |
大平 正芳 | 第二次池田内閣・第二次改造内閣 | 1962年7月18日 | 1963年7月18日 | 366 | |
大平 正芳 | 第二次池田内閣・第三次改造内閣 | 1963年7月18日 | 1963年12月9日 | 145 | |
大平 正芳 | 第三次池田内閣 | 1963年12月9日 | 1964年7月18日 | 223 | |
椎名 悦三郎 | 第三次池田内閣・第一次改造内閣 | 1964年7月18日 | 1964年11月9日 | 115 | |
椎名 悦三郎 | 第一次佐藤内閣 | 1964年11月9日 | 1965年6月3日 | 207 | |
椎名 悦三郎 | 第一次佐藤内閣・第一次改造内閣 | 1965年6月3日 | 1966年8月1日 | 425 | |
椎名 悦三郎 | 第一次佐藤内閣・第二次改造内閣 | 1966年8月1日 | 1966年12月3日 | 125 | |
三木 武夫 | 第一次佐藤内閣・第三次改造内閣 | 1966年12月3日 | 1967年2月17日 | 77 | |
三木 武夫 | 第二次佐藤内閣 | 1967年2月17日 | 1967年11月25日 | 282 | |
三木 武夫 | 第二次佐藤内閣・第一次改造内閣 | 1967年11月25日 | 1968年11月30日 | 372 | |
佐藤 栄作 | 第二次佐藤内閣・第一次改造内閣 | 1968年10月29日 | 1968年11月30日 | 33 | |
愛知 揆一 | 第二次佐藤内閣・第二次改造内閣 | 1968年11月30日 | 1970年1月14日 | 411 | |
愛知 揆一 | 第三次佐藤内閣 | 1970年1月14日 | 1971年7月5日 | 538 | |
福田 赳夫 | 第三次佐藤内閣・改造内閣 | 1971年7月5日 | 1972年7月7日 | 369 | |
大平 正芳 | 第一次田中角栄内閣 | 1972年7月7日 | 1972年12月22日 | 169 | |
大平 正芳 | 第二次田中角栄内閣 | 1972年12月22日 | 1973年11月25日 | 339 | |
大平 正芳 | 第二次田中角栄内閣・第一次改造内閣 | 1973年11月25日 | 1974年11月11日 | 352 | |
木村 俊夫 | 第二次田中角栄内閣・第一次改造内閣 | 1974年7月16日 | 1974年11月11日 | 119 | |
木村 俊夫 | 第二次田中角栄内閣・第二次改造内閣 | 1974年11月11日 | 1974年12月9日 | 29 | |
宮澤 喜一 | 三木内閣 | 1974年12月9日 | 1976年9月15日 | 647 | |
小坂 善太郎 | 三木内閣・改造内閣 | 1976年9月15日 | 1976年12月24日 | 101 | |
鳩山 威一郎 | 福田赳夫内閣 | 1976年12月24日 | 1977年11月28日 | 340 | |
園田 直 | 福田赳夫内閣・改造内閣 | 1977年11月28日 | 1978年12月7日 | 375 | |
園田 直 | 第一次大平内閣 | 1978年12月7日 | 1979年11月9日 | 338 | |
大来 佐武郎 | 第二次大平内閣 | 1979年11月9日 | 1980年6月12日 | 217 | |
伊東 正義 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 | 1982年11月27日 | 864 | |
園田 直 | 鈴木善幸内閣 | 1981年5月18日 | 1982年11月27日 | 559 | |
安倍 晋太郎 | 第一次中曽根内閣 | 1982年11月27日 | 1983年12月27日 | 396 | |
安倍 晋太郎 | 第二次中曽根内閣 | 1983年12月27日 | 1984年11月1日 | 311 | |
安倍 晋太郎 | 第二次中曽根内閣・第一次改造内閣 | 1984年11月1日 | 1985年12月28日 | 423 | |
安倍 晋太郎 | 第二次中曽根内閣・第二次改造内閣 | 1985年12月28日 | 1986年7月22日 | 207 | |
倉成 正 | 第三次中曽根内閣 | 1986年7月22日 | 1987年11月6日 | 473 | |
宇野 宗佑 | 竹下内閣 | 1987年11月6日 | 1988年12月27日 | 418 | |
宇野 宗佑 | 竹下内閣・改造内閣 | 1988年12月27日 | 1989年6月3日 | 159 | |
三塚 博 | 宇野内閣 | 1989年6月3日 | 1989年8月10日 | 69 | |
中山 太郎 | 第一次海部内閣 | 1989年8月10日 | 1990年2月28日 | 203 | |
平成 | 中山 太郎 | 第二次海部内閣 | 1990年2月28日 | 1990年12月29日 | 305 |
中山 太郎 | 第二次海部内閣・改造内閣 | 1990年12月29日 | 1991年11月5日 | 312 | |
渡辺 美智雄 | 宮澤内閣 | 1991年11月5日 | 1992年12月12日 | 404 | |
渡辺 美智雄 | 宮澤内閣・改造内閣 | 1992年12月12日 | 1993年8月9日 | 241 | |
武藤 嘉文 | 宮澤内閣・改造内閣 | 1993年4月7日 | 1993年8月9日 | 125 | |
羽田 孜 | 細川内閣 | 1993年8月9日 | 1994年4月28日 | 263 | |
柿澤 弘治 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 | 1994年6月30日 | 64 | |
河野 洋平 | 村山内閣 | 1994年6月30日 | 1995年8月8日 | 405 | |
河野 洋平 | 村山内閣・改造内閣 | 1995年8月8日 | 1995年10月2日 | 56 | |
池田 行彦 | 第一次橋本内閣 | 1996年1月11日 | 1996年11月7日 | 302 | |
池田 行彦 | 第二次橋本内閣 | 1996年11月7日 | 1997年9月11日 | 309 | |
小渕 恵三 | 第二次橋本内閣・改造内閣 | 1997年9月11日 | 1998年7月30日 | 323 | |
高村 正彦 | 小渕内閣 | 1998年7月30日 | 1999年1月14日 | 169 | |
高村 正彦 | 小渕内閣・第一次改造内閣 | 1999年1月14日 | 1999年10月5日 | 265 | |
河野 洋平 | 小渕内閣・第二次改造内閣 | 1999年10月5日 | 2000年4月5日 | 184 | |
河野 洋平 | 第一次森内閣 | 2000年4月5日 | 2000年7月4日 | 91 | |
河野 洋平 | 第二次森内閣 | 2000年7月4日 | 2000年12月5日 | 155 | |
河野 洋平 | 第二次森内閣・改造内閣 | 2000年12月5日 | 2001年1月6日 | 33 | |
河野 洋平 | 第二次森内閣・改造内閣(省庁再編後) | 2001年1月6日 | 2001年4月26日 | 111 | |
田中 眞紀子 | 第一次小泉内閣 | 2001年4月26日 | 2002年9月30日 | 523 | |
小泉 純一郎 | 第一次小泉内閣 | 2002年1月30日 | 2002年9月30日 | 244 | |
川口 順子 | 第一次小泉内閣 | 2002年2月1日 | 2002年9月30日 | 242 | |
川口 順子 | 第一次小泉内閣・第一次改造内閣 | 2002年9月30日 | 2003年9月22日 | 358 | |
川口 順子 | 第一次小泉内閣・第二次改造内閣 | 2003年9月22日 | 2003年11月19日 | 59 | |
川口 順子 | 第二次小泉内閣 | 2003年11月19日 | 2004年9月27日 | 314 | |
町村 信孝 | 第二次小泉内閣・改造内閣 | 2004年9月27日 | 2005年9月21日 | 360 | |
町村 信孝 | 第三次小泉内閣 | 2005年9月21日 | 2005年10月31日 | 41 | |
麻生 太郎 | 第三次小泉内閣・改造内閣 | 2005年10月31日 | 2006年9月26日 | 331 | |
麻生 太郎 | 第一次安倍内閣 | 2006年9月26日 | 2007年8月27日 | 336 | |
町村 信孝 | 第一次安倍内閣・改造内閣 | 2007年8月27日 | 2007年9月26日 | 31 | |
高村 正彦 | 福田康夫内閣 | 2007年9月26日 | 2008年8月2日 | 312 | |
高村 正彦 | 福田康夫内閣・改造内閣 | 2008年8月2日 | 2008年9月24日 | 54 | |
中曽根 弘文 | 麻生内閣 | 2008年9月24日 | 2009年9月16日 | 358 | |
岡田 克也 | 鳩山由紀夫内閣 | 2009年9月16日 | 2010年6月8日 | 266 | |
岡田 克也 | 菅直人内閣 | 2010年6月8日 | 2010年9月17日 | 102 | |
前原 誠司 | 菅直人内閣・第一次改造内閣 | 2010年9月17日 | 2011年1月14日 | 120 | |
前原 誠司 | 菅直人内閣・第二次改造内閣 | 2011年1月14日 | 2011年9月2日 | 232 | |
枝野 幸男 | 菅直人内閣・第二次改造内閣 | 2011年3月7日 | 2011年9月2日 | 180 | |
松本 剛明 | 菅直人内閣・第二次改造内閣 | 2011年3月9日 | 2011年9月2日 | 178 | |
玄葉 光一郎 | 野田内閣 | 2011年9月2日 | 2012年1月14日 | 135 | |
玄葉 光一郎 | 野田内閣・第一次改造内閣 | 2012年1月14日 | 2012年6月4日 | 143 | |
玄葉 光一郎 | 野田内閣・第二次改造内閣 | 2012年6月4日 | 2012年10月1日 | 120 | |
玄葉 光一郎 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月1日 | 2012年12月26日 | 87 | |
岸田 文雄) | 第二次安倍内閣 | 2012年12月26日 | 2014年9月3日 | 617 | |
岸田 文雄 | 第二次安倍内閣・改造内閣 | 2014年9月3日 | 2014年12月24日 | 113 | |
岸田 文雄 | 第三次安倍内閣 | 2014年12月24日 | 2015年10月7日 | 288 | |
岸田 文雄 | 第三次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2015年10月7日 | 2016年8月3日 | 302 | |
岸田 文雄 | 第三次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2016年8月3日 | 2017年8月3日 | 366 | |
河野 太郎 | 第三次安倍内閣・第三次改造内閣 | 2017年8月3日 | 2017年11月1日 | 91 | |
河野 太郎 | 第四次安倍内閣 | 2017年11月1日 | 2018年10月2日 | 336 | |
河野 太郎 | 第四次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2018年10月2日 | 2019年9月11日 | 345 | |
令和 | 茂木 敏充 | 第四次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2019年9月11日 | 2020年9月16日 | 372 |
茂木 敏充 | 菅義偉内閣 | 2020年9月16日 | 2021年10月4日 | 384 | |
岸田 文雄 | 第一次岸田内閣 | 2021年10月4日 | 2021年11月10日 | 38 | |
茂木 敏充 | 第一次岸田内閣 | 2021年10月4日 | 2021年11月4日 | 32 | |
林 芳正 | 第二次岸田内閣 | 2021年11月10日 | 2022年8月10日 | 274 | |
林 芳正 | 第二次岸田内閣・第一次改造内閣 | 2022年8月10日 | 2023年9月13日 | 400 | |
上川 陽子 | 第二次岸田内閣・第二次改造内閣 | 2023年9月13日 | (現在) | (現在) |
外務大臣を長く務めた政治家ランキング
外務大臣は閣僚の中でも重要ポストと言われます。外国との信頼関係を構築するうえでも担当大臣が一定しているほうが良いとされます。
その外務大臣を長く務めた政治家を1位~5位まで紹介します。
なお、内閣総理大臣が外務大臣を兼務した時期はのぞいています。
1位:内田 康哉氏(3006日)
1位は内田康哉氏で3006日でした。唯一の3000日越えです。
明治時代から昭和(戦前)まで政界で活躍した人で、西園寺内閣、原内閣、高橋内閣、加藤友三郎内閣、斎藤内閣の5つの内閣で外務大臣を務めました。
また、原敬首相の暗殺(1921年)、加藤友三郎首相の急逝(1923年)ではどちらも臨時の内閣総理大臣を務めています。
2位:小村 寿太郎氏(2669日)
2位は小村寿太郎氏で2669日でした。桂内閣で2度にわたって外務大臣を務めています。
関税自主権の回復、日英同盟の締結といった高校の日本史教科書に載るほどの大きな功績を2つもなしとげた外交官でした。
3位:幣原 喜重郎氏(1941日)
3位は幣原喜重郎氏で1941日です。大正から昭和(戦前)にかけて、加藤高明内閣、若槻内閣、濱口内閣の3つの内閣で外務大臣を務めています。
ワシントン会議での海軍軍縮を決めるなど、軍部主導が進む日本国内の動きと対照的に国際協調路線を貫きました。
戦後、戦争放棄を明記する憲法第九条をGHQに提案したのも幣原氏とされています(諸説あり)。
幣原喜重郎については以下の記事で詳しく解説しています。
幣原喜重郎とは何をした人か?幣原外交(協調外交)と日本国憲法への貢献を分かりやすく解説
4位:加藤 高明氏(1689日)
4位は加藤高明氏で1689日です。伊藤内閣、西園寺内閣、桂内閣、大隈内閣の4つの内閣で外務大臣を務めました。
第一次世界大戦中に中国へ二十一箇条の要求(山東省の権益確保など。国際社会からの批判でのちに10箇条に減少)をしたことでも知られています。
なお、加藤高明については以下の記事で詳しく解説しています。
加藤高明とは何をした人物?治安維持法と普通選挙法の制定で知られる総理大臣の功績を解説
また、伊藤博文、西園寺公望、桂太郎、大隈重信については以下の記事で詳しく解説しています。
初代内閣総理大臣・伊藤博文は何をした人か|幕末から明治にかけての評価と暗殺事件の経緯を解説
内閣総理大臣・西園寺公望の生涯と業績:自由主義の政治家と立命館大学の開祖
内閣総理大臣・桂太郎の経歴と功績:生い立ちや西園寺公望との関係性、総理大臣としての評価を紹介
内閣総理大臣・大隈重信の生涯と業績:早稲田大学創設や政治家としての足跡を生い立ちから解説
5位:岸田 文雄氏(1686日)
5位は令和に内閣総理大臣を務めている岸田文雄氏で、1686日です。安倍内閣で長く外務大臣を務めていました。
沖縄基地移設問題に関して人脈があること、中国要人との人脈があること、また対話を重視する姿勢であることから外務大臣として長く活躍したと言われています。
1~10位の在職日数一覧
氏名 | 通算在職日数(日) | 内閣 | 時代 |
内田 康哉 | 3006 | ・西園寺内閣 ・原内閣 ・高橋内閣 ・加藤友三郎内閣 ・斎藤内閣 | ・明治 ・大正 ・昭和(戦前) |
小村 寿太郎 | 2669 | 桂内閣 | 明治 |
幣原 喜重郎 | 1941 | ・加藤高明内閣 ・若槻内閣 ・濱口内閣 | ・大正 ・昭和(戦前) |
岸田 文雄 | 1686 | 安倍内閣 | 平成 |
加藤 高明 | 1689 | ・伊藤内閣 ・西園寺内閣 ・桂内閣 ・大隈内閣 | ・明治 ・大正 |
青木 周蔵 | 1672 | ・山縣内閣 ・松方内閣 | 明治 |
大平 正芳 | 1594 | ・池田内閣 ・田中内閣 | 昭和(戦後) |
安倍 晋太郎 | 1337 | 中曾根内閣 | 昭和(戦後) |
園田 直 | 1272 | ・福田赳夫内閣 ・大平内閣 ・鈴木善幸内閣 | 昭和(戦後) |
寺内 正毅 | 1143 | 桂内閣 | 明治 |
上位10人うち4人は首相経験者
外務大臣を長く務めた10人のうち4人はその後内閣総理大臣になっています。
幣原喜重郎氏、岸田文雄氏、大平正芳氏、加藤高明氏です。
国際経験と外交スキルは日本の国際的な影響力につながりますし、外交成果は国内政治でも評価されます。
外務大臣の歴史から見る日本の未来
女性外務大臣の歴史とその意義
女性外務大臣として最も注目されたのは田中真紀子氏で、彼女は国際舞台での日本の存在感を高めるだけでなく、女性の政治参加の象徴ともなりました。
女性外務大臣の誕生は、ジェンダー平等の観点からも重要な意義を持っています。今後の女性の活躍にも期待が寄せられます。

外務大臣が日本外交に与えた影響とは?
外務大臣は、日本の外交政策の実行だけでなく、国際社会での信頼構築に貢献してきました。例えば、貿易摩擦の緩和や平和条約の締結など、各外務大臣の功績は日本の地位向上に直結しています。
これらの活動は、現在の国際的な日本の評価に深く関わっています。
日本外交の未来に必要な外務大臣像
これからの外務大臣には、多文化理解力や国際協調のリーダーシップが求められます。また、デジタル外交や新技術を活用した国際交渉も必要になるでしょう。
日本外交の未来を切り開くためには、新しい時代に対応できる柔軟な外務大臣が不可欠です。
Q&A: 外務大臣に関するよくある質問
Q1: 外務大臣の主な役割とは何ですか?
A1: 外務大臣は、日本の外交政策の実行を担う重要な役職です。具体的には、外国との交渉、国際会議への出席、条約締結の主導、そして外交方針の策定を行います。また、国内では国会で外交政策について説明し、必要に応じて調整を行う役割も果たします。
Q2: 歴代外務大臣の中で、評価が高い人物には誰がいますか?
A2: 評価が高い外務大臣としては、吉田茂氏(サンフランシスコ講和条約を推進)、宮沢喜一氏(日米貿易摩擦の調整)、重光葵氏(国連加盟の基礎作り)、そして岸田文雄氏(ASEANとの関係強化)などが挙げられます。彼らの功績は日本外交の基盤となっています。
Q3: 在任期間が最も長い外務大臣は誰ですか?
A3: 在任期間が最も長い外務大臣は内田 康哉氏で、通算で3000日以上務めました。大正時代の政界の重鎮で、原敬首相暗殺後や加藤友三郎首相病死後に臨時首相も務めています。
Q4: 最年少・最年長で就任した外務大臣は誰ですか?
A4: 最年少で就任したのは40歳の加藤高明氏で、後に総理大臣に就任して普通選挙法を実現させています。一方、最年長で就任したのは70歳の上川陽子氏で、岸田内閣のときでした。岸田内閣退陣後は自民党総裁選荷も出馬しています。
Q5: 外務大臣の役割は戦前と戦後でどのように変わりましたか?
A5: 戦前は軍事外交が中心で、軍部との連携が重視されました。一方、戦後は平和主義に基づき、経済外交や国際協力が主要な役割となりました。この変化は、日本の戦後の国際社会での立ち位置を大きく左右しました。
Q6: 女性外務大臣はこれまでに何人いますか?
A6: 女性外務大臣はこれまで3人いました。初の女性外務大臣は田中真紀子氏で、つづいて川口順子氏、上川陽子氏でした。田中真紀子氏の外務大臣就任は、ジェンダー平等を進める上で象徴的な意義を持ち、政治分野における女性の役割を示しました。
なお、女性大臣については以下の記事で詳しく解説しています。
女性大臣の歴史と現状:日本の歴代内閣での女性大臣の人数と女性が任命された大臣職を紹介
Q7: 現代の外務大臣が直面している主な課題は何ですか?
A7: 現代の外務大臣は、国際紛争、経済連携、気候変動、サイバーセキュリティなど多岐にわたる課題に直面しています。特に、国際社会における日本の発言力を強化するための戦略的な外交が求められています。
Q8: 外務大臣の選任はどのように行われますか?
A8: 外務大臣は、内閣総理大臣によって任命されます。通常、外交経験や国際的な知識が豊富な国会議員が選ばれることが多いです。また、内閣全体のバランスや政党内の意向も考慮されます。
Q9: 外務大臣が国際会議で果たす役割とは?
A9: 外務大臣は国際会議で日本を代表し、国際的な課題に対する日本の立場を説明します。また、他国の首脳や外相と交渉し、条約締結や合意形成を図ります。こうした場での活動は、国際社会での日本の信頼構築に直結します。
Q10: 外務大臣の未来に求められる資質は何ですか?
A10: 外務大臣には、多文化理解力や柔軟な対応力、さらに国際社会でのリーダーシップが求められます。また、デジタル外交や新技術を活用した交渉能力も必要です。これらの資質は、グローバル化が進む現代の外交環境でますます重要となるでしょう。
まとめ
外務大臣を務めた歴代政治家を一覧で紹介しました。
1番長く外務大臣を務めたのは内田康哉氏で、明治から昭和まで長く活躍した外交官です。2位は小村寿太郎氏で日英同盟や関税自主権の回復を成功させています。
外務大臣の在任日数上位10番以内に首相経験者が4人もいます。外務大臣としての経験がいかに内閣総理大臣の職務に重要かが分かります。
【参考】
外務省
アジア歴史資料センター
コメント