近年、国際的にも日本国内でも死刑制度の是非について議論されています。
死刑判決が確定した死刑囚に「死刑執行命令」を出すのは法務大臣の役割です。法務大臣もひとりの人間であり、「法務大臣としてどうすべきか」という考え方にも個人差があります。
そこで、今回は法務大臣別の死刑執行命令数や死刑執行命令への考え方についてまとめました。
※関連記事:歴代の法務大臣の一覧
歴代法務大臣の死刑執行命令数
歴代の法務大臣による死刑執行命令数をまとめました。
氏名 | 担当 | 内閣 | 在任期間 | 在職日数(日) | 死刑執行命令数 | |
奥野 誠亮 | 法務大臣 | 鈴木善幸内閣 | 1980年7月17日 | 1981年11月30日 | 502 | 1 |
坂田 道太 | 法務大臣 | 鈴木善幸内閣・改造内閣 | 1981年11月30日 | 1982年11月27日 | 363 | 1 |
秦野 章 | 法務大臣 | 第一次中曽根内閣 | 1982年11月27日 | 1983年12月27日 | 396 | 1 |
住 栄作 | 法務大臣 | 第二次中曽根内閣 | 1983年12月27日 | 1984年11月1日 | 311 | 1 |
嶋崎 均 | 法務大臣 | 第二次中曽根内閣・第一次改造内閣 | 1984年11月1日 | 1985年12月28日 | 423 | 2 |
鈴木 省吾 | 法務大臣 | 第二次中曽根内閣・第二次改造内閣 | 1985年12月28日 | 1986年7月22日 | 207 | 2 |
遠藤 要 | 法務大臣 | 第三次中曽根内閣 | 1986年7月22日 | 1987年11月6日 | 473 | 2 |
林田 悠紀夫 | 法務大臣 | 竹下内閣 | 1987年11月6日 | 1988年12月27日 | 418 | 2 |
長谷川 峻 | 法務大臣 | 竹下内閣・改造内閣 | 1988年12月27日 | 1988年12月30日 | 4 | 0 |
高辻 正己 | 法務大臣 | 竹下内閣・改造内閣 | 1988年12月30日 | 1989年6月3日 | 156 | 0 |
谷川 和穂 | 法務大臣 | 宇野内閣 | 1989年6月3日 | 1989年8月10日 | 69 | 0 |
後藤 正夫 | 法務大臣 | 第一次海部内閣 | 1989年8月10日 | 1990年2月28日 | 203 | 1 |
長谷川 信 | 法務大臣 | 第二次海部内閣 | 1990年2月28日 | 1990年9月13日 | 198 | 0 |
梶山 静六 | 法務大臣 | 第二次海部内閣 | 1990年9月13日 | 1990年12月29日 | 108 | 0 |
左藤 恵 | 法務大臣 | 第二次海部内閣・改造内閣 | 1990年12月29日 | 1991年11月5日 | 312 | 0 |
田原 隆 | 法務大臣 | 宮澤内閣 | 1991年11月5日 | 1992年12月12日 | 404 | 0 |
後藤田 正晴 | 法務大臣 | 宮澤内閣・改造内閣 | 1993年4月8日 | 1993年8月9日 | 124 | 3 |
三ヶ月 章 | 法務大臣 | 細川内閣 | 1993年8月9日 | 1994年4月28日 | 263 | 4 |
永野 茂門 | 法務大臣 | 羽田内閣 | 1994年4月28日 | 1994年6月30日 | 64 | 0 |
中井 洽 | 法務大臣 | 羽田内閣 | 1994年5月8日 | 1994年6月30日 | 54 | 0 |
前田 勲男 | 法務大臣 | 村山内閣 | 1994年6月30日 | 1995年8月8日 | 405 | 5 |
田沢 智治 | 法務大臣 | 村山内閣・改造内閣 | 1995年8月8日 | 1995年10月9日 | 63 | 0 |
宮澤 弘 | 法務大臣 | 村山内閣・改造内閣 | 1995年10月9日 | 1996年1月11日 | 95 | 3 |
長尾 立子 | 法務大臣 | 第一次橋本内閣 | 1996年1月11日 | 1996年11月7日 | 302 | 3 |
松浦 功 | 法務大臣 | 第二次橋本内閣 | 1996年11月7日 | 1997年9月11日 | 309 | 7 |
下稲葉 耕吉 | 法務大臣 | 第二次橋本内閣・改造内閣 | 1997年9月11日 | 1998年7月30日 | 323 | 3 |
中村 正三郎 | 法務大臣 | 小渕内閣 | 1998年7月30日 | 1999年1月14日 | 169 | 3 |
中村 正三郎 | 法務大臣 | 小渕内閣・第一次改造内閣 | 1999年1月14日 | 1999年3月8日 | 54 | |
陣内 孝雄 | 法務大臣 | 小渕内閣・第一次改造内閣 | 1999年3月8日 | 1999年10月5日 | 212 | 3 |
臼井 日出男 | 法務大臣 | 小渕内閣・第二次改造内閣 | 1999年10月5日 | 2000年4月5日 | 184 | 2 |
臼井 日出男 | 法務大臣 | 第一次森内閣 | 2000年4月5日 | 2000年7月4日 | 91 | |
保岡 興治 | 法務大臣 | 第二次森内閣 | 2000年7月4日 | 2000年12月5日 | 155 | 3 |
高村 正彦 | 法務大臣 | 第二次森内閣・改造内閣 | 2000年12月5日 | 2001年1月6日 | 33 | 0 |
高村 正彦 | 法務大臣 | 第二次森内閣・改造内閣(省庁再編後) | 2001年1月6日 | 2001年4月26日 | 111 | 0 |
森山 眞弓 | 法務大臣 | 第一次小泉内閣 | 2001年4月26日 | 2002年9月30日 | 523 | 5 |
森山 眞弓 | 法務大臣 | 第一次小泉内閣・第一次改造内閣 | 2002年9月30日 | 2003年9月22日 | 358 | |
野沢 太三 | 法務大臣 | 第一次小泉内閣・第二次改造内閣 | 2003年9月22日 | 2003年11月19日 | 59 | 2 |
野沢 太三 | 法務大臣 | 第二次小泉内閣 | 2003年11月19日 | 2004年9月27日 | 314 | |
南野 知惠子 | 法務大臣 | 第二次小泉内閣・改造内閣 | 2004年9月27日 | 2005年9月21日 | 360 | 1 |
南野 知惠子 | 法務大臣 | 第三次小泉内閣 | 2005年9月21日 | 2005年10月31日 | 41 | |
杉浦 正健 | 法務大臣 | 第三次小泉内閣・改造内閣 | 2005年10月31日 | 2006年9月26日 | 331 | 0 |
長勢 甚遠 | 法務大臣 | 第一次安倍内閣 | 2006年9月26日 | 2007年8月27日 | 336 | 10 |
鳩山 邦夫 | 法務大臣 | 第一次安倍内閣・改造内閣 | 2007年8月27日 | 2007年9月26日 | 31 | 13 |
鳩山 邦夫 | 法務大臣 | 福田康夫内閣 | 2007年9月26日 | 2008年8月2日 | 312 | |
保岡 興治 | 法務大臣 | 福田康夫内閣・改造内閣 | 2008年8月2日 | 2008年9月24日 | 54 | 3 |
森 英介 | 法務大臣 | 麻生内閣 | 2008年9月24日 | 2009年9月16日 | 358 | 9 |
千葉 景子 | 法務大臣 | 鳩山由紀夫内閣 | 2009年9月16日 | 2010年6月8日 | 266 | 2 |
千葉 景子 | 法務大臣 | 菅直人内閣 | 2010年6月8日 | 2010年9月17日 | 102 | |
柳田 稔 | 法務大臣 | 菅直人内閣・第一次改造内閣 | 2010年9月17日 | 2011年1月14日 | 120 | 0 |
仙谷 由人 | 法務大臣 | 菅直人内閣・第一次改造内閣 | 2010年9月17日 | 2011年1月14日 | 120 | 0 |
江田 五月 | 法務大臣 | 菅直人内閣・第二次改造内閣 | 2011年1月14日 | 2011年9月2日 | 232 | 0 |
平岡 秀夫 | 法務大臣 | 野田内閣 | 2011年9月2日 | 2012年1月14日 | 135 | 0 |
小川 敏夫 | 法務大臣 | 野田内閣・第一次改造内閣 | 2012年1月14日 | 2012年6月4日 | 143 | 3 |
滝 実 | 法務大臣 | 野田内閣・第二次改造内閣 | 2012年6月4日 | 2012年10月1日 | 120 | 4 |
田中 慶秋 | 法務大臣 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月1日 | 2012年12月26日 | 87 | 0 |
小平 忠正 | 法務大臣 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月1日 | 2012年10月24日 | 24 | 0 |
滝 実 | 法務大臣 | 野田内閣・第三次改造内閣 | 2012年10月24日 | 2012年12月26日 | 64 | 0 |
谷垣 禎一 | 法務大臣 | 第二次安倍内閣 | 2012年12月26日 | 2014年9月3日 | 617 | 11 |
松島 みどり | 法務大臣 | 第二次安倍内閣・改造内閣 | 2014年9月3日 | 2014年10月21日 | 49 | 0 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣 | 2014年12月24日 | 2015年10月7日 | 288 | 1 |
岩城 光英 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2015年10月7日 | 2016年8月3日 | 302 | 4 |
金田 勝年 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2016年8月3日 | 2017年8月3日 | 366 | 3 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 第三次安倍内閣・第三次改造内閣 | 2017年8月3日 | 2017年11月1日 | 91 | 15 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 第四次安倍内閣 | 2017年11月1日 | 2018年10月2日 | 336 | |
山下 貴司 | 法務大臣 | 第四次安倍内閣・第一次改造内閣 | 2018年10月2日 | 2019年9月11日 | 345 | 4 |
河井 克行 | 法務大臣 | 第四次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2019年9月11日 | 2019年10月31日 | 51 | 0 |
森 まさこ | 法務大臣 | 第四次安倍内閣・第二次改造内閣 | 2019年10月31日 | 2020年9月16日 | 322 | 1 |
上川 陽子 | 法務大臣 | 菅義偉内閣 | 2020年9月16日 | 2021年10月4日 | 384 | 0 |
古川 禎久 | 法務大臣 | 第一次岸田内閣 | 2021年10月4日 | 2021年11月10日 | 38 | 4 |
古川 禎久 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣 | 2021年11月10日 | 2022年8月10日 | 274 | 0 |
齋藤 健 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣・第一次改造内閣 | 2022年11月11日 | 2023年9月13日 | 307 | 0 |
葉梨 康弘 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣・第一次改造内閣 | 2022年8月10日 | 2022年11月11日 | 94 | 0 |
小泉 龍司 | 法務大臣 | 第二次岸田内閣・第二次改造内閣 | 2023年9月13日 | (在任中) | (在任中) | 0 |
昭和最多の死刑執行命令を出した法務大臣
1952年~1954年に吉田内閣で法務大臣を務めた犬養健氏は40名以上の死刑執行命令に署名したと言われています。
また、1962年~1963年に池田内閣で法務大臣を務めた中垣國男氏は33名の死刑執行命令に署名しています。
ただし、どの法務大臣が何名の死刑執行命令を出したのかは必ずしも明確ではありません。
平成以降で最多の死刑執行命令を出した法務大臣
平成以降の最多の死刑執行命令を出したのは上川陽子氏です。通算で16回の死刑執行命令書に署名しています。戦後すぐのころとくらべると決して多い数字ではありませんが、平成以降では最多です。
ちなみに1970年代後半以降、死刑執行数は減少しています。在任中に出した死刑執行命令は1ケタの法務大臣がほとんどになります。
死刑執行に関する議論
死刑執行に関する議論は国内世論だけでなく、国際的にも大きなテーマです。
OECD加盟国で死刑制度があるのは日本とアメリカだけ
OECDに加盟している38か国のなかで、死刑制度が存在しているのは日本とアメリカだけです(東京新聞より)。ただしアメリカも多くの州では死刑制度が廃止あるいは10年間実施されていません(日本弁護士連合会より)。
日本でも死刑制度数は1977年以降、非常に少なくなっています。
法務大臣の考え
死刑執行命令については法務大臣によって考え方がさまざまです。死刑に反対する人、法務大臣の職務であると考える人、やや軽率にパフォーマンスに使ってしまった人など。
立場が違えば見え方も異なると思いますが、法務大臣の死刑執行命令に対する姿勢をいくつかまとめました(Wikipediaより)。
宗教上の理由で死刑執行命令を拒否した法務大臣
宗教上の理由で死刑執行命令を拒否した法務大臣もいました。
前述のように、左藤恵氏は浄土真宗の住職という立場から死刑執行命令を出さないと明言していました。
左藤氏のほかに、真宗大谷派の信徒である杉浦正健氏(2005-2006年在任)も就任記者会見で死刑執行命令を拒否すると明言しました。
1時間後にこの発言を撤回していますが、在任中の死刑執行命令は0でした。
1945年以降の死刑執行数の一覧
戦後の死刑執行数を一覧にまとめました。
ほぼ毎年2ケタの死刑執行数でしたが、1977年以降は年に1ケタの執行数が大半です。
年度 | 死刑執行数(人) |
1945 | 8 |
1946 | 11 |
1947 | 12 |
1948 | 33 |
1949 | 33 |
1950 | 31 |
1951 | 24 |
1952 | 18 |
1953 | 24 |
1954 | 30 |
1955 | 32 |
1956 | 11 |
1957 | 39 |
1958 | 7 |
1959 | 30 |
1960 | 39 |
1961 | 6 |
1962 | 26 |
1963 | 12 |
1964 | 0 |
1965 | 4 |
1966 | 4 |
1967 | 23 |
1968 | 0 |
1969 | 18 |
1970 | 26 |
1971 | 17 |
1972 | 7 |
1973 | 3 |
1974 | 4 |
1975 | 17 |
1976 | 12 |
1977 | 4 |
1978 | 3 |
1979 | 1 |
1980 | 1 |
1981 | 1 |
1982 | 1 |
1983 | 1 |
1984 | 1 |
1985 | 3 |
1986 | 2 |
1987 | 2 |
1988 | 2 |
1989 | 1 |
1990 | 0 |
1991 | 0 |
1992 | 0 |
1993 | 7 |
1994 | 2 |
1995 | 6 |
1996 | 6 |
1997 | 4 |
1998 | 6 |
1999 | 5 |
2000 | 3 |
2001 | 2 |
2002 | 2 |
2003 | 1 |
2004 | 2 |
2005 | 1 |
2006 | 4 |
2007 | 9 |
2008 | 15 |
2009 | 7 |
2010 | 2 |
2011 | 0 |
2012 | 7 |
2013 | 8 |
2014 | 3 |
2015 | 3 |
2016 | 3 |
2017 | 4 |
2018 | 15 |
2019 | 3 |
2020 | 0 |
2021 | 3 |
2022 | 1 |
2023 | 0 |
まとめ
各法務大臣が出した死刑執行命令数の一覧を紹介しました。平成以降の最多は上川陽子氏の16名です。
宗教上の理由で死刑執行命令を出さない大臣もいれば、30-40名の死刑執行命令出した大臣もいました。
資料をすべてよみなおしてから執行命令書にサインしたり、数日考えてからサインしたり、退任間近まで1名もサインしなかったりと、大きな負担を感じている法務大臣が多い様子がうかがえます。
国際的には死刑制度廃止の方向です。日本でも死刑執行数は近年減少傾向です。
被害者、加害者双方の人権にかかわる課題なので、時間をかけて議論していきたいですね。
※関連記事:歴代内閣総理大臣と当時の時代背景(年表)
コメント