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内閣不信任決議:不信任決議が可決された日本の歴代内閣4つとその経緯を紹介

困った顔の初老男性 政治活動
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内閣総理大臣は日本の政治のトップです。ですが、内閣不信任決議が提出・可決されると総辞職しないといけなくなります。実際、不信任決議が可決されて総辞職した歴代内閣は4つあります。

そこで、内閣不信任決議の提出や可決の条件をお伝えし、不信任決議が可決されたときの経緯や状況について紹介します。

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内閣不信任決議とは

内閣不信任決議は、内閣が衆議院の信任を失ったことを示す公式な手続きです。

51人以上の賛成で不信任決議を提出できる

内閣不信任決議を提出するには、発議者1人と賛成者50人の合計51人以上が必要です。

衆議院の過半数で可決される

内閣不信任決議が提出されると、ほかの法案審議をストップして不信任決議の議決を取ります。

衆議院議員の過半数が賛成すれば可決されます。

なお、参議院でも議決は取れますが、可決されても解散・総辞職の法的拘束力はありません。

内閣不信任決議可決後の動き

不信任決議が可決されると、内閣は10日以内に以下のいずれかの対応をとる必要があります。

  • 総辞職する
  • 衆議院を解散する

内閣総辞職をした場合、内閣総理大臣は辞任し、全ての閣僚も辞職します。ただし、新しい内閣総理大臣が選出されるまで、現職の内閣は暫定的に職務を継続します。

国会は新しい内閣総理大臣を指名するための手続きを開始し、新たな内閣が成立します。

衆議院解散後の流れ

内閣総理大臣が衆議院の解散を決定した場合、解散宣言が行われます。

解散から40日以内に総選挙が実施され、選挙後30日以内に特別国会が召集されます。特別国会において新しい内閣総理大臣が選出され、新たな内閣が発足します。

なお、衆議院を解散した場合でも内閣はいったん総辞職し、新たに組閣します。

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内閣不信任決議が可決された歴代内閣

過去に内閣不信任決議案が提出され可決された内閣は過去に4つあります。

可決時期内閣
1948年12月吉田茂内閣
1953年3月吉田茂内閣
1980年5月大平正芳内閣
1993年6月宮澤喜一内閣
首相官邸HPをもとに作成

第二次吉田内閣の不信任決議の経緯

1948年、第2次吉田内閣は与党が少数派で政権基盤が脆弱だったため、早期の解散総選挙を計画していました。憲法第69条に基づく内閣不信任決議なしで解散が可能かどうかで与野党が対立し、GHQも関与。

11月に野党が内閣不信任決議を提出する協定が結ばれ、12月23日に可決され衆議院が解散されました。この解散は「馴れ合い解散」と呼ばれました。

第五次吉田内閣の不信任決議の経緯

1953年、吉田茂首相の「バカヤロー発言」を契機に内閣不信任案が提出されます。このとき三木武吉、石橋ら反吉田派22名が賛成に回ったため不信任案は可決され、衆議院が解散されました。

総選挙の結果、自由党は過半数に届かず、吉田は改進党と鳩山自由党の協力を得て再び首相になります。

ところが1954年、造船疑獄が発覚し吉田首相は検事総長に捜査中止を指示。すったもんだの末に法務大臣が辞任。政局不安定の中、反吉田派が日本民主党を結成し、内閣不信任案を提出する動きに出たため、吉田首相は内閣総辞職を決断しました。

大平内閣の不信任決議の経緯

1980年、大平首相は新自由クラブとの連立を模索しましたが、党内反発で難航します。

11月9日、第2次大平内閣を発足させ、文部大臣を臨時兼任。
11月20日、新自由クラブからの閣僚起用を断念し、自民党の谷垣専一を文相に任命して一応収束。

ところが1980年5月、与党内での造反によって内閣不信任決議が提出・可決され、衆参同日選挙を実施します。選挙期間中の6月12日、大平が急逝し、伊東正義が臨時代理となり内閣は形式上総辞職しました。

宮澤内閣の不信任決議の経緯

バブル崩壊後、宮澤首相は日銀総裁三重野康と共に公的資金投入を模索しましたが、大蔵省などの反対で断念します。金融機関への公的資金投入はタブーとなり、以後、政治家はこの話題を避けるようになりました。

背景には側近の浜田卓二郎や日銀総裁の三重野との議論があり、宮澤は金融機関の不良債権処理を早期に進めるべきと考えていましたが、実現に至りませんでした。

おりしも、リクルート事件で政治改革が重視されていました。小選挙区制導入をはじめとする政治改革に宮澤首相は積極的ではなく、党内で反発を受けていました。

不良債権処理に消極的にみえ、さらには政治改革にも消極的な姿勢だったため、そのリーダーシップを疑問視されます。

1993年、こうした対立から内閣不信任案が可決され、自民党は総選挙で過半数割れ。結果、細川内閣が成立し、宮澤は自民党長期支配の最後の首相となりました(55年体制の終焉)。

15代目の自民党総裁だったため、徳川幕府最後の将軍である15代・徳川慶喜になぞらえて、「自民党の徳川慶喜」とも称されました。

内閣不信任決議が可決される条件

前述のように内閣不信任決議が可決されるケースは4回でした。そのうち1回(1948年第二次吉田内閣)は、解散総選挙をするための形式的な不信任決議でした。

以降3回の不信任決議可決には共通してある状況がみられます。

政権に批判的な世論

1つ目は、政権に対する批判的な世論です。政権内の不祥事、不安定な経済など国内の情勢が理由となって政権に対して国民が懐疑的な気持ちを抱いたときに、不信任決議案が提出されがちです。

ただし、不信任決議案の可決にはこれだけでは不十分です。衆議院で過半数の賛成が必要だからです。

内閣は衆議院で過半数の議席を占める政党が組織します。野党議員が全員不信任決議に賛成しても、与党議員が反対すれば可決されません。

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与党内からの造反

そこで、不信任決議が可決される2つ目の理由として「与党内からの造反者」が挙げられます。

1953年の吉田内閣、1980年の大平内閣、1993年の宮澤内閣のいずれでも与党内から大量の造反者が出ています。

つまり、与党内からの造反者を確保できる見込みになると不信任決議が提出され採決されるのです。

ただし、造反者でその後首相になった人はいません。不信任が突きつけられる側も造反して突きつけた側も、大きな政局混乱で苦労した人と言えるかもしれません。

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まとめ

いかがでしょうか。

内閣不信任決議とは何か説明し、不信任決議が可決された歴代内閣4つ(吉田内閣2回、大平内閣、宮澤内閣)と可決までの経緯を紹介しました。

不信任決議は衆議院で過半数の賛成票が必要です。政権に対する世論の強い反発に加えて、与党内での造反者が大量に出たときに可決されます。

また、不信任決議が提出されるのは国内の情勢が不安定なときです。大きな転換をしなくても良いような安定した状況が望ましいのかもしれません。

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